2007-08-10 Fri
8月9日に寄せて
日付はとっくに変わってしまったが‥‥
今日 (8月9日) は、長崎原爆投下から62年目の日だった。
毎年、原爆が投下された日 ( 8月6日 、 8月9日 ) になると
何とも言えない複雑な感情に、心を揺り動かされる。

オレは、親類縁者に ヒロシマ・ナガサキ の関係者は居ないし
原水爆禁止のための運動等に参加している訳でもない。
せいぜい、子供の頃に署名活動の手伝いをさせられた程度。
(その手伝い自体、どんな経緯でやったんだったか‥‥;;;)
ただ、小学校か児童会館の図書室で はだしのゲン と出会い
”原爆” が生々しく描かれた内容に、相当なショックを受けたので
物心付くか付かないかの頃のあの体験が
未だに‥‥自分の中に深く根を下ろしているのかもしれない。

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ヒロシマ と言えば、数年前こんな単行本が出版された。
絵本のような色遣いに、たおやかなタイトルの表紙。
書店で見かけたとしても、中身が原爆物だとは思わないだろう。

夕凪の街桜の国 夕凪の街桜の国
こうの 史代 (2004/10)
双葉社
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舞台となるのは、1話目が原爆投下から13年が経過した広島。
2話目が昭和62年の東京、3話目が平成16年の東京と広島。
登場人物達は、原爆の惨禍を生き延びた人であったり
その子や、孫であったり。

『何故生き延びてしまったのか』 という罪悪感に苛まれながらも
与えられた日々を懸命に生きようとしている1話目の主人公、皆実。
広島から遠く離れた地で、他の人らと何ら変わりなく生活している筈なのに
日常の中に 『被爆』 という呪縛を抱えた2話目(3話目)の主人公、七波。
彼らのごくありふれた日々が、柔らかいタッチで淡々と綴られており
原爆の悲惨さ、惨さを訴えるような凄惨な描写は、ほぼ皆無。

歴史的事実としての ヒロシマ・ナガサキ は、過去のものとなりつつあり
現実味がどんどん薄れて来ている。
自分と対して違わない年齢であろう七波が、被爆2世であるということ
(延いては、同年代の知人に被爆2世が居てもおかしくない) について
今まで、ただの1度として気にかけ無かったオレ自身もまた
原爆投下を ”現実のもの” として捉え切れてなかったのだと
この本を読んで痛切に思い知らされた。


映画化され 現在上映中 なので、是非ともスクリーンで観たいのだが
扱っている映画館が少ないのが難点。
少々劇場が遠くても、上映期間終了までに行かねば;;;


******** 以下、ちょっとアレなので折り畳み ********
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2007-02-24 Sat
散るぞ口惜し
昨年末頃に買って未だ読み終えていない本がある。
正式に言えば、買って数日間中にパラパラと
ひととおり目を通してはあるものの‥‥出来れば熟読したい類の本。

久々にハードカバーの本を購入

映画 「硫黄島からの手紙」 が注目を浴びたばかりだから
今はその名を知る人も多いだろう。
渡辺謙が劇中演じ、映画でも実際の硫黄島を語るうえでも、最もキモとなる人物
硫黄島の守備隊総司令官 陸軍中将 栗林忠道
オレがその存在を知ったのは数年前
読者登録してるメルマガ (軍事に関する情報提供) のコラムか何かでだと思う。

冷静な判断なんて、日本国中殆どの人々が失っていたような戦時下で
時に、お国の命令に背いてでも己の信念を貫き通し
現場の人間 (部下の兵士達) への対応に心を砕き
最後の最後まで、客観的な視点と冷静な計算に基づいた指揮を執り
蟻と象ほど力の差違がある相手‥‥米軍の海兵隊を震え上がらせた‥‥

「アメリカを最も苦しめた男」 とまで言われながら、日本での知名度は低かった。
メルマガでも、そうつぶさに紹介されていた訳では無かったろうと思うが
書かれていたエピソードの内容が、心の琴線に触れでもしたのか
”栗林中将” という人物は、自分の中でどことなく特別な存在だった。
だから、今回の映画化、映画化に付随しての書籍出版・再版は素直に嬉しい。
問題は‥‥ちょうど忙しい時期で、映画館へ行く暇が見つけられず
映画を ( 『父親たちの星条旗』 含めて ) 見損ねてしまったことと
一気に様々な本が出過ぎて、選定 (と財布との相談) が大変ってことだ;;;;;。

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この本のタイトルは 散るぞ悲しき

記事のタイトルは  散るぞ口惜し

似ているようではあるものの、その内容は大きく違う。
前者が、ただただ ”散っていく悲しみ・無情” を訴えているのに対し
後者は ”無念さ” を強く全面に押し出している印象を受ける。

栗林中将は、1945年3月16日 大本営宛てに決別電報を発している。
電報末尾には左記として辞世の句が三首したためられており
三首のうち一首目
國のため重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
この最後の7文字が、本のタイトルとして使われた。
しかし‥‥当時この7文字は、大本営によって改変され闇に葬られている。
代わりにあてがわれた7文字が、今回の記事タイトル。
当然マスコミが報じて人の目に触れるのは、改変済の句だった。
天皇陛下のため、お国のために ”玉砕” することは美徳であり
誉れ高い死を嘆き悲しむなど、帝国軍人にあるまじき愚行‥‥と言ったところか。

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時代は変わり 『言論の自由』 が当たり前の世の中になった。
戦時中のような言論統制は‥‥無い‥‥はずだ、多分。

しかし、例え現在メディアから報じられてくる様々なニュースが
真実を伝えるための報道だったとしても
”意志を持った人間” から発信される時点で、主観というフィルタを経由する。
”企業” から発信されるなら、企業の方針というフィルタを経由する。
例えば、日常の中でのちょっとした傷害事件ひとつを取り上げるにしても
発信者が、被害者側と加害者側、どちらの側の視点に立つかということによって
受け手の印象が180度変わることだって充分あり得る と思う。

自由が保障され、様々な情報が氾濫している今の世の中
与えられる情報をただ鵜呑みにしていると、時には不利益を被る可能性さえある。
最近、各所で メディア・リテラシー という言葉を目にするようになったが
捏造疑惑に関する報道などを見る度に、つくづくその重要性を実感。
( 以前の記事 でもこの言葉に触れているので、もし興味のある人がいたらどうぞ )

戦禍の中で、冷静に 『日本不利』 の戦況を見極めていた栗林中将。
彼のような人物になるのは、難しいかもしれないけれど
隔たった視点に固執せず、少しでも広い見識を備えた人間になりたい。
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| 馥郁 |